古田織部 創作のヒント / 古田織部美術館

古田織部重然は、利休亡き後に豊臣・徳川政権で「天下一」と称された武将茶人です。激動の桃山時代後期の茶の湯をリードした、独特の美意識を持つ古田織部好みの茶道具を年3回の展示でお楽しみ下さい。
古田織部は、徳川2代将軍秀忠の茶の湯指南役でもありました。織部が…

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古田織部重然は、利休亡き後に豊臣・徳川政権で「天下一」と称された武将茶人です。激動の桃山時代後期の茶の湯をリードした、独特の美意識を持つ古田織部好みの茶道具を年3回の展示でお楽しみ下さい。

古田織部は、徳川2代将軍秀忠の茶の湯指南役でもありました。織部が将軍に与えた影響は大きく、幕命により織部が自刃した後も、秀忠は師を慕い、織部流の茶の湯を遵守したのです。

古田織部は、関ヶ原の戦いの前年にあたる慶長4年(1599)2月に、伏見の自邸において、“へうげもの”と表現された美濃焼茶碗を薄茶の席で使用し、客を驚かせました。当初の美濃焼には絵付けがなかったことから、この茶碗は、真っ黒で歪んだ「織部黒」の沓形茶碗であったと想像されます。この茶会の客は、毛利輝元の養子・秀元と叔父・小早川秀包、博多の豪商・神屋宗湛で、そのうち宗湛が日記(『宗湛日記』)に「ヒツミ(歪み)候也 ヘウケモノ(剽げ物)也」と書き留めています。「剽げ」の語には、おどける、ふざける、剽軽な、という意味があります。

織部はこうした茶碗をもう少し前に使い始めた可能性がありますが、残念ながら記録がありません。その後の慶長6年(1601)1月の茶会では、「ヤキソコナヒ(焼き損ない)」と表現されています(『今井宗久茶湯日記抜書 下』)。
織部が作らせた焼き物には様々なバリエーションがありますが、緑釉や網目文、蕾柄尻などの「へうげもの」は、いかにして生み出されたのか。東アジアの焼物や金工品との比較から、アイデアの原点を探る展示がされます。

 




令和元年 夏季展
☆★☆ 古田織部 創作のヒント ☆★☆
■開催期間:2019/5/25~8/25      9:30~17:30(入館は17:10まで)
休館日/期間中無休
■開催場所:古田織部美術館
京都市北区大宮釈迦谷10-37 太閤山荘内
■料   金:一般500円   高校生・大学生400円    中学生以下300円
■お問合せ:075‐707‐1800
■URL :http://www.furutaoribe-museum.com/







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